人生のすべては、それをやりたいか、やりたくないかで決める

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先日、都市ボランティア選考会について書いた。

大会ボランティアは、一日8時間、10日以上ということで、休みが取れる以前に、夏の東京の炎天下、外で働く自信がなく、悩んだ末に断念。せめて、ということで、都市ボランティアになった。

オリンピックのボランティアについては、巷でいろいろと言われている。やりがい搾取だとか、なんだとかね。
これに限らず、私はすべてのことを、

人生の経験として、やりたいかやりたくないか?

だけで決めることにしている。

そこに行きたいか?見ないで死んでも後悔はないか?
それを食べたいか?食べたくないか?
それをやりたいかやりたくないか?
それをやらないで死んでもいいかどうか?と毎回考える。たいして、後悔がないと思ったらやめるし、それは嫌だ!と思ったら、即やる。

人生って思ったより短い。人生のモットーは、「やりたいことは全部やる!」だけど、すべてをやりきることなんか、とうていできない。なにかを選んで、なにかを捨てていかないと。

自分探しだ、なんだってやっている間にも人生は過ぎていくし、そもそも自分を探す必要もなかったということにも、気がつかされる。自分は自分のままでよかったのだ。それを教えてくれたのは、スペインでの生活だったけど。

昔、自分探しとかやりがいとか言えていた自分を、幸せに思う。世界には、日々生きるだけで精一杯な人たちが多くいると知ったから。選択できる、恵まれた人生に生まれてきたことを、ありがたく思う。こうしてパソコンに向かって、文字を打っていることにも感謝。

その上で、やりたいか?やりたくないか?贅沢な質問を自分に投げかける。オリンピックのボランティアは、やりがいがあるかどうかはわからない。でもボランティアに選ばれなくても、自発的に、道で観光客を助けたりはすると思った(今も、よくやっている)。

年を取った時に、そういやあの時こんなことしたな、暑かったな、楽しかったな、大変だったな、と思えると思ったので、今回オリンピックのボランティアに参加することにした。

人生、なにもかも損得で考えたらつまんない。やりがい搾取だとしてもいいじゃない、やりたいんだから。

人生、なんでもおもしろがって、生きていこう。

追記2021:その後、コロナで、それどころではなくなってしまい、辞退することになりました。

外国人観客を入れない、と言った時点で、もう私の役目は終わってしまいました。残念だけど、これも人生。
やりたいことは全部やる!できないこと、うまくいかないことは、縁がなかったことだと思っています。